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日本一の繁華街近くで働いていたプログラマが現在は旅行に勤しんでいる日々の日記

イスラエル出国 ( #7 )

イスラエル最終日、帰りは駅まで歩く元気がなかったのでバスで向かうことに。 宿の人が親切にバス停までついてきてくれた。というのもバスはかなり複雑で一応番号で識別はできるが、バス停がかなりややこしかったりする。そのためついてきてくれて、バスが来るまで待っていてくれた。その時、「イスラエルとその周りの国は非常に複雑な関係だけど、みんなそれぞれ自国を思ってのこと。また機会があれば他のアラブ諸国へ行くといい、そのときはまたイスラエルに戻ってきて話して欲しい」と話してくれた。陸続きで仲の悪い国同士は多数あるだろうが、ここまで四面楚歌な国はないだろうな。生きているうちはきっと彼ら自身は他のアラブ諸国へ行くことはかなわないとわかっているのだろう。世界のこういった状況を知れただけでも来た価値があった。

一路、イスラエルの出国だが、この出国が厳しい(というか長かった)。このことは有名で出国時はかならず 3 時間前に来るように言われている。 イスラエルの出国の流れは以下のようになっている。

  1. セキュリティチェック
  2. チェックイン
  3. 出国手続き
  4. 荷物検査

一見すると、1だけが多い?と思うが、実は 1 もそうなのだが、 4 がやっかいだった。

1. セキュリティチェック
まず空港に入ると、どこの航空会社を利用するかによってセキュリティチェックの窓口が異なる。そのためパスポートと搭乗する航空会社を求められる。その後のセキュリティチェックで色々と聞かれる。担当のお姉さんは優しかった。丁寧に一つ一つ質問をしてくれた。質問内容は、

  • この荷物は自分で packaging しましたか?
  • 他の人から預かっている荷物はないですか?

などの基本的なことだった。 人によってはここでも他のアラブ諸国スタンプがあれば色々聞かれるという。私の場合は、待ち時間こそ長かったが、実際は 5 分くらいで終わったように思う。ちなみに途中で英語が聞き取れない部分があったので、お姉さんが操作している PC をこちらに向けて日本語で質問がかかれた画面を見せてきた。イスラエルで日本語を見たのは初めてだったのでびっくりした。

2. チェックイン ここも基本的には他の空港と同じなのだが、なぜか私の荷物は預かってもらえず特別な X 線検査場に持っていくよう促された。あとあと知ったが、何人かに一人はランダムでそこに送られるそうだ。カバンこそ派手に開けられなかったが、 X 線を無事に通って荷物を預けることができた。(ちなみに横の白人男性はこれでもかとトランクを女性検査官にあけられたあと、終了後に早く行きな!みたいな感じであしらわれてた。どんなプレイだ)

3. 出国手続き
ここは以外とスムーズなのだが、人が混んでいる。実はチップが埋め込まれたパスポートは横の自動改札機にさえ通せば出国できるのだ(ざる)。ただし、この機械の反応が悪いこと悪いこと。係員が促すと一斉にみんな機械に走るが、一人また一人とこちらに戻ってくる。口を揃えて反応しないと言っている。あの機械で通れた人はいるのだろうか....

4. 荷物検査
ようやく最後の関門。荷物検査とはただの X 線検査だけかと思ったら、ランダムで別のルートでの検査ラインへ誘導される人がいる。私のときは約半分くらいがそっちに誘導されていたのではないだろうか。かくいう私もその別のラインだった。行くと長蛇の列ができており、 カバンをあけられ、靴を脱がされ検査される。結構厳し目に身体の隅々まで検査されるのでかなり疑われてるのかなぁと思ってしまうほど。ここは列が長く、検査も大変なので一番時間を食った場所だった。

というわけで約 2 時間たっぷりとかけて出国することができた。確かに 3 時間前にこないと遅れるわ。恐るべきベン・グリオン国際空港。帰りは是非とも時間に余裕を持って行ったほうがいいと思った(次いつ来るかまったくの未定だけど)

この後は順調に飛行機に登場し、スイス経由でスペインのバルセロナへ。実際、テルアビブからスイスへのフライトが異様に長く、結構きつかった。

スペインのバルセロナについたのは夜の 23 時ごろ。荷物のピックアップなどをしていると結局 24 時くらいになってしまい、この日はタクシーで宿まで向かうことに。大体 30 ユーロくらいだったような。ホテルに着くと陽気なお兄さんに受付をしてもらう。すると生年月日が私とまったく同じ人だったらしく、初めて会ったよーなんて言いながら意気投合。仲良くなって少し会話してホテルへ。(この日は深夜着ということでホステルではなくホテルした。というのも深夜着でホステルに行くとみんな寝ているので荷物などをゴソゴソしにくいためである)
ホテルは小さいが必要最低限のものはあり、居心地はよかった。そして今日はそのまま就寝。

今日は空港がメインだったので写真はなし。

テルアビブ散策 ( #6 )

イスラエル訪問はこの旅行の一つの目的ではあったが、ここから何をしたいというのはなかった。イスラエルは他のアラブ諸国と非常に仲が悪い。かつてはパスポートにイスラエルスタンプがあれば他の国への入国は許されなかったというほどだ。(現在はスタンプではなく入国の際に入国証の紙を代わりにもうらうようになっている。)今はイスラエルにいるので他の中東諸国に行くためには一度トルコなどを経由しなければならない。そのためバス経由で入ることを考えた。 そこで宿の人にレバノン、ヨルダンに行きたいと行ったが、辞めておきなと言われた。 というのも、やはりイスラエルは他の国から敵対視されているらしく、他の国の人間と言えどイスラエル経由で来た人は危ないかもしれないということだった。危ないというのは命の危険とまでは行かないが、徹底的に荷物チェックされたり、長時間待たされたりといいとこはないらしい。

ということで急遽航空券をメール経由で翌日に変更してもらい、今日はテルアビブを散策することにした。得意のグーグル先生にテルアビブの観光地を聞いてみると、どうやら海が綺麗とのこと。海パンを持ってるわけではないがとりあえず行くことにする。他には大きな市場があるらしくそこもなかなかの見どころとのこと。結構テルアビブは楽しめるかもしれない。いよいよ出発。あるきながら Facebook に目を通していると、"Meet up in Israel" の文字が。自分の頭の中は ??? だったが、とりあえず調べてみるとちょうど滞在中にやっているようで、かつ宿からものすごく近い!!

というわけで Israel の Startup が集まる会場へ足を運ぶ。日本からも Samurai インキュベートが参加している関係かちらほらと日本人もいた。しかし私は何の関係者でもない。ましてや登録などもしていない。。しかしそれとなーくしているとすんなり入れた。いつものふざけた格好(短パン半袖サンダル)が意外にもここにきて馴染んでいる。しかし、発表会場などに入るのはさすがに気が引けたので軽くみて出てきた。何より朝の開場直後でまだそこまで温まっていない感じだった。 f:id:toms78:20171014085042j:plain

次にカルメル市場へ移動する。結構距離はあったが徒歩で 30 分ほどで到着。なかなか東南アジアちっくな感じの市場だが、道の幅が狭い狭い。そこまで声はかけられないが、決して安くもないのがイスラエルスタイル。 f:id:toms78:20171014084937j:plain ちなみにイスラエルのお菓子屋さんは異様にカラフル。着色料屋さんかと見紛うくらい。f:id:toms78:20171014084951j:plainお昼近くになっていたのでファラフェルでも食べようと思うが、ちょっと衛生状態的に微妙な感じだったので市場での食事は断念する。結局市場を突き抜けたところでファラフェル屋さんを見つけてたべる。うん、やっぱ何度食べても美味しいな。ちなみにファラフェルを注文すると、毎回「スパイシー?」と白いソースを片手に聞かれる。これ結構辛いので少しだけといつも答えるようにしていた。

そうしてファラフェルも食べたので、海岸線を通って変えることに。しかしこれが遠いことこの上なし。その上海岸線なので日陰もなく途中本気でクラクラし始めたときは焦った。そんなときは売店でアイスを食べるに尽きる。少し高かったが美味しかった。 f:id:toms78:20171014084949j:plain

イスラエル最後の夜は近くにケバブを購入し、宿で食べることに。正直この辺で肉料理には飽きていた。ちなみに、この日から日本人男性が 2 人宿泊していたけど、挨拶しても全然そっけなく会話が続かなかった。中東に来る日本人は冷たい人が多いのかな。

というわけでテルアビブを散策してしっかり歩いた一日だった。

宗教の聖地エルサレムへ ( #5 )

今日の内容は宗教に関してなので先に断りをいれたいのが、ここには私が見たことをそのまま書いているので失礼な記述や表現があった場合は申し訳ありません。ご指摘いただければ修正します。

この日は旅の複数ある大きな目的地の一つ、エルサレム訪問をした。中学・高校とミッションスクールに通っていたせいか、キリスト教に関しては多少詳しくなった。それどころか、大学に入り個人的に宗教の授業などをうけたりして、人よりも宗教に関して興味があった。と言っても、私自身は無宗教(神を信じないとかいうわけではなく、何かの宗派に属していないという意味)であり、ただ宗教をアカデミックな観点から興味があるという方だ。なぜ死ぬことが罪なイスラム教徒は自爆テロをするのか。宗教戦争などと一時期騒がれていたが、ではなぜその聖地が同じ街にあるのかなど。宗教とは不思議なことばかりである。ここを訪れたからと言って、何かかわるものでないと思うが、訪れると見えなかったものに気づけるかなという思いで訪れることにした。

事前に調べておいたように、テルアビブからは高速バスが良いということだった。前日歩いた駅からの長い道のりをまた歩く。というのも駅の近くにバスターミナルがあるからだ。テルアビブには2つのバスターミナルがあるが、南の方がかなり大きい。しかし昨日と打って変わって荷物もさほどないためかなり楽にバスターミナルまで行けた。 f:id:toms78:20170920062159j:plain

バスターミナルに着くと、かなり大きいことに気づく。そしてかなり立体なのだ。着くやいなや、中に入り方がわからない。色々ゲートはあるっぽいのだが、全てクローズされている。やっとこさ反対側にまわるとオープンしているゲートがあった。荷物チェックを済ませバスのりばの 4 階に行く。ちなみにイスラエルでは駅、スーパーなど人が集まるところではすべてで荷物検査がなされる。なのでスーツケースなどを持ち込んだ際は色々時間がかかることもあるので要注意だ。 Information にエルサレム行きの場所を聞くとそっけなく教えてくれた。その行き場まで行くとちょうどバスが出ようとしてたのであわてて飛び乗る。乗車率は 50% といったところだろうか。

バスは通常の高速バスと同じだが、中は WiFi が完備されているなど非常に快適だった。バスに揺られること約 1 時間、ようやくエルサレムに到着。エルサレムの中心地もテルアビブと同様にかなりの都市で発展している。しかし今回用があるのは、旧市街地なのだ。旧市街地までは日本で言うチンチン電車?的なものが走っているが、時間もたっぷりあることだし歩いていくことにした。約 4km の道のり。通りは非常に整備されていてゴミなどもさほど落ちていない。(後にわかることだが)他のヨーロッパとなんら綺麗さはかわらない。通りは熱いのスプライトを購入する。 8 シュケル( 240 円ほど)。 f:id:toms78:20170920063414j:plain

とぼとぼゆっくりとあるき続けること約 1 時間、旧市街地の城壁にたどり着いた。今でもエルサレムは城壁に囲まれており、いくつかのゲートからの入場しかできない。私は一番大通りのゲートから入場。入場するとそこには伝統的な石畳の古い町並みが残っていた。 f:id:toms78:20170920062400j:plain エルサレム旧市街地には以下の 4 つのエリアに分かれている。

その中でもユダヤ教イスラム教、キリスト教には相当宗教的に重要な聖地がある。

今回、私はここを訪れたかった。 旧市街地は細い道がたくさんあり、その両脇にはたくさんのお土産屋がある。そこまで声をかけられないあたりはやはり先進国に近いものを感じる。まずは何と言っても有名なユダヤ教の聖地、「嘆きの壁」 (Western Wall) へ向かう。

ユダヤ教嘆きの壁

嘆きの壁に近づくにつれてユダヤ教の正装をした人々が増える。行く手前には警察がたくさんいるし、荷物検査なども実施される。いざ入ると、今までにない宗教施設感が全身を通して感じた。 嘆きの壁には祈りを捧げている人がかなりいた。一般の人々はもちろん、兵士なども訪れていた。 本当はもう少し奥にも祈りの場所があるが、短パンサンダルという舐めた格好で行ったのでそれ以降は進むのをやめた。止められたわけではないが、何か行けない雰囲気はあった。尚、他の場所もそうなのだが、観光客も相当数いるが、それに劣らないくらいの信者も多い。尚、嘆きの壁には信者であってもユダヤ教徒が身につけている帽子をかぶらなければならない。f:id:toms78:20170920062048j:plainf:id:toms78:20170920062431j:plain

キリスト教聖墳墓教会

嘆きの壁ほどセキュリティは厳しくはなかった。 ここは元々ゴルゴタの丘イエス・キリストが十字架にかけられた場所)にある教会であり、イエス・キリストのお墓がある場所である。イエス・キリストは十字架を背負いこの丘を上った。その道を自分も通る。今となっては同じ道ではないと思うが、やはりここを通ることはなんだか感慨深い。様々な祈りの場所があり、そのそれぞれで口づけをしていた。時にキリストが眠っている墓にはそうとうな行列ができており、その入る前には牧師さんがいてなにやら話していた。観光客よりも圧倒的に信者が多かったように思うf:id:toms78:20170920062507j:plainf:id:toms78:20170920062506j:plainf:id:toms78:20170920062502j:plainf:id:toms78:20170920064442j:plain

イスラム教(ドームオブザロック)

実はここに観光客が訪れるのは相当制限がされている。何曜日かの午前中だけなのだ。もちろんかなり限られた時間らしい。(曜日なども結構変わるらしいので行きたければ事前に詳しい宿の人などに聞いておくことをおすすめする)私はなんの情報も持っていなかったので行ったらもちろん入れてもらえなかった。 外観だけでも見たかったが、行こうとするだけで兵士に止められた。よくわからなかったが、とりあえずドームオブザロックを見ることさえできなった。無念。

これらの場所に至るには色々なところで兵士がいて、宗教を聞かれる。私は典型的なアジア人、かつ旅行者なので仏教徒ということにした。旧市街地内では争いを避けるためか、宗教によって通れる道と通れない道があるようだった。また、各宗教施設は観光するにはとてもじゃないがヘビーな場所が多かった。嘆きの壁もそうだったが、聖墳墓教会なども敬虔な信者が涙を流しながらキリストの墓地(教会内の中心に位置している)に入っていく。とてもじゃないが自分は入れなかった。(偽ることができないほどの神聖な何かは感じた)このようにエルサレムの旧市街地内は観光地ではあるが、同時にかなり重要な宗教施設でもあるのだと痛感させられた。 f:id:toms78:20170920064533j:plain 約 4 時間ほどぶらぶらして帰宅することにした。帰りはちんちん電車に乗る予定だったが、まだ明るかったので帰りも歩いた。お昼ごはんを食べ損ねていたので近くのケバブ屋さんでラップケバブを注文。

そんなこんなで元のバス停に戻ってきてバスに乗って宿に帰宅。帰りはどこで降ろされるかわからず焦って変な場所で降りるというハプニングがあったが、無事に宿に戻れた。

初の中東、イスラエル入国 ( #4 )

トルコのイスタンブールを経由してイスラエルの空の玄関口、ベングリオン国際空港へ到着。予定表を見間違えていたのが、シンガポールからイスタンブールまでが異様に遠くて結構疲れた。イスタンブールでの乗り換えは激混み、かつみんな一列に並ばない。なぜ海外の人は一列に並べないのか。(だから西洋人はすぐに戦s…)また、 transfer の人々の検査が厳し様子で多くの旅行者が荷物を開けられていた。やはりトルコなどの中東諸国への入り口は厳しくしているようだ。私は何事もなく通れて一安心。イスラエルはテルアビブ(ベングリオン国際空港)行きの飛行機へ搭乗。

トルコからは2時間弱で空港に到着。到着時刻は早朝の7:00頃。到着後、入国審査へ向かう途中から異様な空気に気づいていた。それはそこらじゅうに兵士がいるのだ。警官ではない。兵士だ。兵士が機関銃を持っているのだ。日本という平和ボケした国にいるとこういう国に来た時に少しびっくりしてしまう。そして至るところでその兵士から乗客が声をかけられている。私も一人から声をかけられた。

その兵士の人は物腰やわらかそうに、「私はセキュリティのためにいくつか質問をしたいのですがよろしいですか」と。恐らく「よろしくないので先を行きます」とでも言って少しでも背を見せたら後頭部を撃ち抜かれるに違いない。もちろん即答(食い気味)で OK 。聞かれたことは一人できたのかや入国の目的など入国審査となんら変わりないようなことだった。まぁいわゆる職質なんだろうなと。

その後、やっと入国できると思ったのもつかの間、入国審査の列が長い長い。審査官がいるところが見えない。どうやら色々聞かれるようで非常に回転率が悪いようだ。このあたりは色々なブログなどでも書かれていたのでなんとなくは知っていた。他のアラブ諸国への渡航があれば徹底的に聞かれるそうだ。私の場合ははアラブ諸国への渡航経験はなかったので、目的や滞在期間などよくある質問をされるだけだった。そして入国完了。思ったより簡単(他の国と同等)だった。

入国後、ほぼ情報がないまま来てしまったのでネット経由で情報収拾するため、まずは SIM カードをゲット。今思うともう少し SIM を比べるなどしたらよかったが、疲れていたので目の前の割高 SIM に手を伸ばしてしまった( 39 ドル也)。いざ SIM を手に入れたので宿までどうやっていくのかと調べると何やら、電車とバスを乗り継ぐとか…やっかいなところを予約したものだ。電車に乗るために駅に向かい、切符を買おうとするがうまく買えない。それを見かねたイスラエル美女がどこまで行きたいか英語で聞いてくれて代わりに買ってくれた。(イスラエル人やさしい)

そして最寄りの駅まで来たので下車。下車後感じたのがこの国は暑いこと限りない。バスに乗る前に駅のベンチで一休み。 あまり観光客が利用しない駅で降りたのでイスラエル人から見た外人は私くらい。イスラエルの人々はひっきりなしに駅コンコースの kiosk的なところでパンを買っては食べている。 f:id:toms78:20170915051520j:plain
私も自販機で買った炭酸ジュースと日本から持ってきたお菓子で腹を満たす。 そうこうしながら見ていると多いのがやはり兵士。ただし勤務中の兵士ではなく、出勤?または帰宅前の兵士である。 イスラエルで兵士を見分けるのは非常に簡単。それは以下のどれかにあてはまる人である。

  • 軍服を着て、銃を所持している
  • 軍服を着ている
  • 私服で銃を所持している

イスラエルは男女とも兵役が義務なためこのよな光景が見れるのだとか。

そうこうしているうちにバスに乗ろうかと思ったが、意外にも Google Maps で調べると宿まで 2km だった。 基本的に私は歩ける距離は歩くことにしている。(『道を知っていることと、実際にその道を歩くことは、別物だ。』ってマトリックスでも言ってましたよね。文脈は全然違いますが、この言葉結構好きです)そのため大きなバックパックを背負ってあることを決意した。

入国審査で時間がかかったこと、駅で休憩していたこともあり、10 時をまわろうとしていた。 日差しも徐々にジリジリとてりつけて汗が流れてくる。 そして歩き始める。だが、飛行機の中でもずっと寝ていたためご飯を 10 時間ほど食べていないことに気づく。 何かないかと思っていると、ちょい汚い感じのファストフードっぽい店に入る。 英語のまったく通じないおじさんに指 1 本を立てて何か一つ食べさせてくれと必死に伝える。おじさんはわかったわかったと伝えてくれる。そうして出てきたのが中東で最初に食べたファラフェルだった。その時はファラフェルの存在はしらなかったが、かなりボリューミーでだが野菜もしっかりある感じで非常に美味しかった。おじさんに料金を聞くとまたヘブル語で返ってくる。恐る恐る10シュケル硬化を4枚(約 1200 円)を出すと店の奥のレジまで連れて行かれて笑顔で “12.5” という数字を見せられる。なるほど、安い。物価は日本より少し高いと聞いていたが、少なくともここは安い。
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腹いっぱいになったところでまた歩き続けてやっとこさ宿にたどり着く。宿は綺麗でもないが汚くもない。
結構他の宿泊者もイスラエルの人が多いイメージだった。ちなみに本日の宿はMilk & Honey Hostel。 この宿の良かった点、悪かった点は以下。

良かった点

  • 安い
  • バスタオル貸してくれる

悪かった点

  • 全体的に古臭い
  • 誰が従業員で誰が宿泊者かわかならい
  • 色々な場所(ターミナル、駅、市場など)

その日は近くをぶらぶらし、なぜかピザ屋さんでご飯を食べた。 30シュケルくらい。この時から感じていたが、イスラエルは都会。後日イスラエルやテルアビブ散策をして感じるのが、イスラエルは中東では珍しい先進国。イスラエルはやはりユダヤ人の国だ。それくらい都会だった。 f:id:toms78:20170915051613j:plain

夕暮れ時には街の時計台が綺麗に輝いていた。(尚、この時計台にライトアップなどは存在しない) f:id:toms78:20170915051654j:plain

こうしてイスラエルの初日は終わった。

Facebook - シンガポール社を訪ねて - ( #3 )

シンガポール 2 日目は友人の会社 Facebook シンガポールへ連れて行ってもらった。Facebook では社員が家族や友人を社内に案内できるというシステムがあるらしくそれを利用して案内してもらった。Facebook オフィスはアラブストリートの近くの中心部にあり、家からはバスで一本だった。バスでは折角なのでということで二階の一番前を陣取った。

15 分ほどで会社の前に付きエントランスへ。パスポートを見せてビルに入り、Facebook 社の受付へ。そうすると Visitor 証をもらえていざ社屋へ踏み入れる…そこは映画でしか見たことないような、広々としながらも遊び心があり、自由な雰囲気を醸し出したエントランスだった。まずはカフェに行くと、日本のそこら辺にあるカフェとなんら遜色ないカフェが…(これが俗に言う外資系企業にある社内のカフェか…) f:id:toms78:20170914045427j:plain f:id:toms78:20170914045403j:plain

その後数フロアあるうちの端から端まで(従業員の執務スペースもすべて!)見せてもらえた。すべての意味で風通しのいい企業とはこのようなものなのかと脱帽する。色々な箇所で MTG スペースがあったり、仕事をしていたりと社員が本当にリラックスしながら日々を送っているのだなぁと東京での自分の仕事振りと比較してなんだか唖然としてしまった。
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正午ぴったりに食堂が開くということでいってみた。この食堂、社員はもちろんのこと、社内見学にきている部外者も一緒に食べることができる。なんて金持ちな会社なんだ。実際シンガポールの昼はちゃんとしたレストランに入ると結構高いらしく、これがあるだけでだいぶ助かっているとのこと。ちなみに食堂はバイキング形式で様々な料理が用意されており、内容も日々変わるらしい。(大学の食堂とは大違い)食堂以外にも至るところでフリーフードがあった。(ハーゲンダッツは羨ましい)食に関して言えば、この会社で太るなという方が難しい。

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Facebook が潤っているのもすべてはザッカーバーグが始まりなのだと改めて実感した。ザッカーバーグも(言うのもおこがましいが)元は普通のエンジニアであり、 Facebook を創業したことが最も大きな功績だが、同時に私は一つのサービスが世の中を変えることができると証明したということも大きな功績だと思う。 f:id:toms78:20170914045516j:plain

最後にこれだけ大きくなってもなお社内では色々な言葉が壁にかけられていて印象に残った。その中でも “Start small, think big” というキーワードが非常に心に残っている。 ソーシャルネットワークを改めて見てみようと思った。 f:id:toms78:20170914045727j:plain

Facebook 社の余韻に浸りながらシンガポール最終日、奥さんも仕事から帰ってきたところでベトナム料理を食べに行く。
日本でもベトナム料理はあまり食べないが非常に美味しかった。また来たい。

そんなこんなでシンガポール 1 泊 2 日、まるまる遊びつした内容の濃いものだった。二人には感謝したい。

ヨーロッパで SIM を購入

旅行における SIM カード

最近は海外旅行においてもスマホを使うとスムーズに移動ができたり色々捗る。特に個人(バスに乗っていれば色々連れて行ってくれるようなやつではない)旅行だと、自分で地図を持つ必要があったり、駅がよくわからなかったり、切符の買い方さえわからなかったりするが、スマホ一つでだいたいすべて解決できる。

そこで利用するのが現地の SIM カードだ。スマホは SIM カードで通信ができるようになるが、日本に売っている SIM フリースマホを持っていき、現地でカードを購入すればほぼ同じように通信することができる。電話番号は変わるが通話ができるものもある。

ヨーロッパにおける SIM カード

「SIM ヨーロッパ」などで検索すると、様々なブログなどで以下のような会社が出て来るが私はあまりオススメしない。

  • Orange (フランス系)
  • Vodafone (イギリス系)
  • Movistar (スペイン系)

というのも、これらは日本で言う、docomoソフトバンクau であり、非常に安定感があるにはあるのだがその分高い。(ただその分安心感はあるので多少のお金は気にしないから安定感が欲しいという人はこっちのほうがいいかもしれない)特に日本からヨーロッパに旅行に行く人は何カ国か周る人も多いと思うが、 ヨーロッパ中で使えるようにするとまた別のオプションが必要でお金がかかる。

そこでオススメしたいのが地元の格安 SIM カードだ。街のスマホ屋さんに行って、それぞれの旅程や行く場所を伝えるとだいたい店員さんがいいものを見繕ってくれる。私の場合、バルセロナの街の古びたスマホ屋さんで聞いたところ、電話番号付き、6GB、30日有効で 25 ユーロの Lebara movil という会社の SIM カードを購入した。 LTE ほどの速度は出ていないように思うが、地図やネットで少し調べるレベルは難なく使える。またフランスに移動してきても難なく使えている。
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ある程度の速度があればあとは安く使いたいという人は是非現地の格安 SIM を使ってみて欲しい。

シンガポールを遊び尽くす (#2-2)

一旦家に帰る一同。 家に帰って靴を履いて(下は短パン)再度出発。

まずは腹ごしらえとしてラオパサというところでサテを食べに行こうとういことになった(日本語で OK )。 当初私もよくわからなかったが、ラオパサが地名ということはなんとなくわかった。サテは焼き鳥の小さいバージョン。ただし鳥とは限らない。

実際に行って驚いたことは、周りがビルだらけの道路に突如屋台と即席のテーブルとイスが置かれていた。日本で言うところと、丸の内のど真ん中の道路で急に屋台を始めるイメージ。なんだか最初はそわそわしていたが、ビールをジョグ(ピッチャー的なやつ)で頼み、サテを 30 本ほど頼み乾杯。だんだん日も暮れてきて、人も集まりだす。なかなか不思議な雰囲気を醸し出していた。
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周りも暗くなってきたところで、友人が是非マリーナベイサンズの show を見ようと提案してくれた。show とは、マリーナベイサンズが毎日定刻に行っている光と音楽のライトアップである。ということで早速タクシーでマーライオン側へ向かう。

マーライオンはよくテレビなどで見るように立派にライトアップがなされていた。マーライオンの周りには観光客がまだかまだかと待ちわびている様子で場所取りをしていた。私達がついた頃にちょうど始まった。マリーナベイサンズが次から次へと色が変わりレーザーのような感じで夜闇を照らす。 Perfume のコンサートのような感じだった(音楽は残念ながらあまり聞こえなかった) f:id:toms78:20170911043400j:plain f:id:toms78:20170911043348j:plain

show が終わった後はいよいよマリーナベイサンズ本体へ乗り込む。タクシーに乗り込みマリーナベイサンズへ着くと人がゴミのようにいた。マリーナベイサンズはずっと三本の柱部分と上の船だけかと思っていたが、そちら以外にも地上には大きなショッピングモールやカジノが広がっており、それら全部を会わせてマリーナベイサンズと呼ぶようだ。(下から見たマリーナベイサンズ) f:id:toms78:20170911044048j:plain

最上階のプールへ本当は行きたくて、マリーナベイサンズへ行きたいと行ったのだが、どうやら宿泊者しかプールゾーンへはいけないらしい。ただし、プールの横のバーへは誰でも行けるということでそちらへ行くことに。ただし、その前に一度カジノへ行こうという話になった(男二人で。奥さんは心配がっていた) 。

ただし、そこはもう二人とも大人。50 ドルだけ握りしめて勝負しようということになった。なかなか安い台が見つからず結局 25 ドルが Min bet のテーブルへ座る。私は運よく 100 ドルになったところで引いた。ビギナーズラックというには少額だがまぁこんなものだろう(これ以上やると絶対に 0 になるのは経験上わかっていた)。残りの端数を適当にルーレットにかけて綺麗に精算。カジノゾーンは写真禁止なので一切の写真はない。そしていよいよ最上階のバーへ。

バーは流石に激混みだった。座席などはもちろん座れないので、バーの端っこでスタンディング。シンガポールスリングを頼み 3 人で乾杯。 f:id:toms78:20170911044640j:plain

ちなみにこのバーは場所代などもあり、一杯 25 ドルくらいするので一杯で帰宅。 最後に夜景を見て帰宅。 f:id:toms78:20170911044834j:plain

これまでにない最高の旅の門出で大満足である。帰ってからも家にあった山崎やら白州をごちそうになりこの上ない至福の時。奥さんは翌日仕事なのに 2 時くらいまで付き合ってくれた。T家の二人がいないと絶対にこんな楽しい時間が過ごせなかった。二人のホスピタリティに感謝感謝。

というわけで実質旅の第一日目は最高の観光ができた日であった。